遠い旅路の目的地

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遠い旅路の目的地

 ミヒャエル・エンデの「自由の牢獄」という短編小説集に、『遠い旅路の目的地』と名付けられた一編がある。大学を卒業してすぐにフランスの大学院に通い始めたのだけれど、未だに自分がどこを目的としているのか曖昧なのでこのタイトルを借りてきた。ブログをはじめようと思ったのも、自分が日々考えたり思いついたりしていることを残したくなってきたから…一年後、いや何か月か先に、始めて良かったと思えるといいな!

 

『遠い旅路の目的地』は、幼少期から家、家族というものをもたず、ホテルで育った男が「故郷」を探すようになる話なんだけれども、

「故郷」は別に自分が生まれ育った場所でなくとも良い。未だ訪れたことがなくとも良いのではないか、っていう主人公の考えかたに私はめちゃめちゃ影響されました。それはこれから探し求めるものであってもいい。

 

カポーティの「ティファニーで朝食を」にも共通する所があると思っている。主人公ホリー・ゴライトリーは言う。「自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところはまだわからない。でもそれがどんなところかはちゃんとわかっている」

 

この台詞にはなんか妙に感じ入っちゃう所があって、ああ、自分もきっとそんなような所を探し求めているんだなと思った。自分が本当に、自分でいることが出来る場所。満たされていると感じられる場所。それは未だ足を踏み入れたことのない世界のどこかかもしれないし、もしかしたらもう既に訪れたことがあるかもしれない。あるいは、特定の誰かといる時間そのものかもしれない。いつかそういう所を見つけられたらいいな、とずっと思っている。「そこがアフリカの掘ったて小屋であれ、なんであれ」。